娘が12歳のときのことだ。
学校で自作の詩の朗読大会が行われることになった。
クラス全員が、自分がどんなに素晴らしいかについて「ウソの詩」を書き、それをみんなの前で発表するという朗読大会だ。
詩は完全な「作り話」でいいというルールだった。
子どもたちはみな、超人的なすごすぎる自分を好き勝手につくり上げる。
私は彼らの朗読を聴きながら、これはシュワルツェネッガーのビジョンと同じだということに気がついた。
子どもたちは意図せずに、「未来の自分の明確なビジョンを描く」ということを実行していたのである。
自分について「ウソ」をつくことで、なりたい自分のビジョンを描いていたのだ。
自分は何になれるのか、未来の自分の姿を知ることは不可能だが、可能性を描くことはできる。
娘の学校は、自らの可能性を描く方法を編みだし、子どもたちに実践させていたのである。
自分の可能性がよくわからないという人は、手始めにファンタジーの形で表現してみよう。
「ウソの詩」を書いた子どもたちと同じ方法だ。
なりたい自分についての物語をつくってみよう。
そうすれば、自分の可能性を広げる方法も浮かんでくるはずだ。
「最高の自分」を思い描いたビジョンがなければ、「最高の自分」が実現することはない。
とりあえず想像しておいて、実現するまでは「ふりをする」という作戦だ。
いずれは、ウソが本当になるときがくる。