01. 死ぬ日のことを想像する

心理療法士の指導のもとで、私は「死ぬ日のことを想像する」というエクササイズをしたことがある。

やり方はこうだ。

① ベッドに横たわっている「死ぬ間際の自分」を想像する
② そのときの感情をありありと想像する
③ 自分にとって大切な人たちを一人ずつ枕元に呼ぶ
④ その大切な人たちに自分の想いを正直に伝える

私は、死ぬことを覚悟し、ベッドに横たわっている自分を想像した。

妻、両親、子どもたち、親戚、友人たちが枕元まで来てくれた。
一人一人に語りかけるうちに、自分の声が震えるのを感じた。目には涙があふれた。

そして、私は深い喪失感を味わった。

私が失いたくなかったのは、自分の命ではなかった。

それは、大切な人との愛にあふれたコミュニケーションの機会が永遠に失われることへの喪失感だった。

この困難なエクササイズを通して、私はこれまでの人生で、どれだけ大切なものを置き去りにしてきたかを知ることになった。

子どもたちに対して、今まで一度も表現したことのないような感情があることも分かった。

このエクササイズが終わったとき、私の感情はぐちゃぐちゃになっていた。

人生であんなに泣いたことはなかった。

その感情を味わい尽くし、気持ちが落ち着いたとき、素晴らしい変化が起こった。

自分にとって何が本当に大切なのか、誰が自分にとって本当に大切なのか分かったからだ。

その日から私は、何事も運や偶然には任せまいと誓った。
大切な人へ自分の気持ちを伝えようと心に決めた。
「いつ死ぬかもしれない」と思って生きようと思った。

この体験は、それ以来、人との関わり方を大きく変えた。
そして、この経験から大きな教訓を得ることができた。

死に際したときの恩恵を受けるために、実際に死が近づくまで待つ必要はない

数年後、母が病院で死期を迎えたとき、私は母のそばに駆け寄って手を握り、母が私にとってどのような存在であったか、どれだけ感謝しているか、どれだけ愛しているかを繰り返し伝えた。

母が亡くなったとき、私は深い悲しみに沈んだが、その時間はとても短かった。
数日のうちに、母の優しさが私の心にしみわたり、母の愛が永遠に私の中で生き続けるのだと感じた。

父が亡くなる1年半前から、私は父へ手紙を送り始めた。
父は晩年、慢性的な病気に苦しみながら生きていたので、父に直接会って伝えることは難しかったからだ。
私はいつも、父に手紙を読んでもらえることをうれしく思っていた。

父の日に手紙を送った後、うれしそうな声の父から電話があった。
「まぁ、私もそんなに悪い父親ではなかったようだな。」

人生には終わりがあることを自覚しなければならない。
いつまでも死なないつもりで日々を生きていると、人生のすばらしさが失われてしまう。

スポーツ選手が、試合が永遠に続くと思ってプレーしていたらどうなるだろう。
試合に終わりがなければ、選手は全力でプレーすることはできない。
全力でプレーしなければ、ゲームを楽しむこともできない。

それと同じで、いつか死ぬという自覚がなければ、人生というすばらしい贈り物を心から楽しむことはできないのである。

多くの人々は、ずっと自分をだまして、人生というゲームには、終わりがないかのようにふるまっている。
何かをやりたくても、その気になったら始めようと考え、ずっと先延ばしにしている。

自分がもうすぐ死ぬという場面を鮮明に思い浮かべてみよう。
自分の死と向き合うのに、命が尽きるまで待つ必要はない。
新しく生まれ変わった気持ちで人生を楽しもう。

深く生きている人は死を恐れない

“People living deeply, have no fear of death.”
ー Anaïs Nin / poet