37. あなたの中に眠る「偉大な勝者」に目をむける

作家のテリー・ヒルと私は、ミシガン州バーミンガムの小学校6年生以来ずっと友人だ。

彼のすばらしい短編「カフェはハンディキャップレースのためにある」を紹介したい。

この短編にはジョー・ワーナーという競馬好きが登場する。ワーナーは、ベルモント競馬場の記者席からある歴史的なレースを観戦したときの思い出を語る。

それは、競馬史に残る伝説の名馬セクレタリアトが2位に31馬身差をつけて、3冠を達成する歴史的瞬間を目撃したときのことだ。

「あの馬が最後の直線を疾走しているとき、俺は周りを見たんだよ。いつも強面で、葉巻をくわえているニューヨークの記者連中が、みんな赤ん坊みたいに涙を流していたんだ。もちろん俺にだってはっきり見えたわけじゃない。涙で視界がかすんでいたからね」

この物語を読むと、私は生涯考えつづけている、ある疑問を思いだす。

それは、「人はなぜ、何か偉大なことが達成される瞬間を目撃すると涙を流すのだろうか?」という疑問だ。

あの馬が31馬身差をつけて勝ったとき、それを見ていたスポーツ記者が全員涙を流したのはなぜなのか?

私の説はこうだ。「感動的な瞬間を目撃したとき、私たちは、自分の中にいる勝者のために泣く」のである。

なぜなら、自分も目の前の出来事と同じくらい偉大なことが達成できるかもしれないと気づくからだ。

涙のその瞬間、私たちは自分の中に眠っている才能を目撃する。

そして、才能を生かしていないことを自覚し、涙を流すのだ。自分もなれたかもしれない。でも現実はそうではない。

テリー・ヒルは、「創造性」というテーマで講演を行うことがある。講演の最後はいつもこう締めくくっている。

「自分の中のスターを解き放つこと」

それが、まだ見ぬ自分を目覚めさせる方法だ。

「自分の中のスターを解き放つ」という言葉は、J・D・サリンジャーの小説「シーモアー序章」からの引用だ。

シーモアは、プロの作家になると決めた弟のバディに宛ててこんな手紙を書いている。

「書くことはきみにとってつねに仕事以上の意味を持っていた。むしろ宗教のようなものだった」

それにつづけてシーモアは言う。

「きみは死ぬときに、2つの根源的な質問を自分に投げかけることになる。自分の中のスターをすべて解き放っただろうか。そして、自分の思いをすべて言葉にしただろうか。」

自分の中のスターは、無理やり外に出そうとしてはいけない。

ただ自由に輝かせるのだ。

つまらない人生を送るのか、それとも刺激に満ちた人生を送るのか。

それはすべてあなた次第だ。

だから計画や夢を描くときは、現実にとらわれず、ワイルドで大きな夢を見なければならない。

そして、思いのたけをすべて言葉にしなければならない。