第4章 逃げない自分になる


第4章 逃げない自分になる


うつ病のときには、仕事や家事など、やらなければならないことが何もできないように感じてしまいます。やればできることでも、気分に流されて行動することを避けてしまう傾向が強くなります。気分の落ち込みを維持している心理的、行動的パターンは、「回避」です。この章では、自分の回避行動に気づき、行動を変えていくための方法を身につけていきます。


<カオルさんの場合>

カオルさんは35歳、夫は公務員で5歳と7歳の二人の子どもをもつ母親です。5年前に、二人目の子を出産した後、憂うつな気分が続き、産後うつ病と診断されました。薬物療法とカウンセリングを受けてしだいに元気になり、家事や育児ができるようになりました。 下の子が3歳になったころ、カオルさんは仕事を始めました。元々、人付き合いの苦手だったカオルさんは、職場での人間関係にストレスに感じていました。あるとき、ささいな仕事の失敗で上司から注意を受けたことをきっかけに、カオルさんは「自分は他の人のようにまともに仕事ができない、無能だ」と考えるようになり気持ちが沈むことが多くなりました。だんだんと朝起きるのがつらくなり、ぎりぎりまで布団で横になっているため仕事に遅刻するようになりました。遅刻に対してさらに上司から注意を受け、カオルさんは上司が怖くなり、ますます仕事が苦痛になってきました。無断で欠勤することもあり、とうとうカオルさんは仕事を辞めてしまいました。 仕事を辞めた後、カオルさんのうつ病はさらに悪化し、簡単な家事すらできなくなってしまいました。台所は食器が山積みとなり、洗面所は洗濯物であふれていました。やらなければいけないことを目の前にすると、どうしていいかわからなくなり、何もしていないのに疲れ果ててしまいました。一日中、布団で横になり、夫が帰宅する頃にようやく起き出してくるといった毎日でした。夜になると、毎日深夜までインターネットでうつ病について調べものをしたり、ネットゲームをしたりしていました。調子が悪いときでも、ネットサーフィンやネットゲームをしていると一時的に調子の悪さを忘れることができました。 夫は、初めの頃は理解的でしたが、うつ病が長引くにつれてイライラするようになり、口論になることもしばしばでした。カオルさんは、「自分は職場だけでなく、母親や主婦としても失格だ」と考えるようになり、暗い海の底に沈んだように絶望的な気持ちで過ごすようになりました。



<回避行動を認識する>

カオルさんは、上司に対する不快な気持ちが強くなるにつれて、仕事に行くことを避けるようになりました。また、家事も、やらなければいけないことの多さに圧倒されて避けるようになりました。どの行動が回避行動なのかは、簡単に判断できるわけではありません。たとえば、カオルさんのようにネットサーフィンやネットゲームをすることは、必要な情報を集めたり、気晴らしになることがありますから、状況によっては適応的な行動です。しかし、自分の置かれている状況を悪化させたり、不安や憂うつな気分を大きくしてしまうのであれば、その行動はうつ病のループに陥った回避行動の可能性があります。うつ病を治すためには、生活の中の回避行動を認識し、それを適応的な行動に変えていくことが必要です。



<回避行動とは何か?>

「回避行動」を次のように定義します。
「回避行動とは、一時的には不安や苦痛を和らげてくれるが、長期的にはうつ病を悪化させる行動」
回避することによって、辛い状況や気分から一時的に気をそらすことができますが、長い目で見ると状況を悪化させ、うつ病のループに陥ってしまいます。先のカオルさんの例には、回避行動がいくつか見られます。つらいときには誰でも、やらなければいけないことを避けたり、先延ばしにしたりすることがあります。健康なときには、回避行動をとることで一時的にストレスが軽くなり、心のバランスがとれることもあります。しかし、うつ病のときには、気分の落ち込みから回避行動ばかりをとってしまうので、状況が悪化させてしまい、自分がますます追いつめられてしまうので、心のバランスが回復することはありません。うつ病のときの回避行動は、うつ病を長引かせてしまうのです。



<課題 4-1> あなたの生活を振り返ってみて、回避にあたると思われる行動はありますか?心当たりのある行動をできるだけたくさん書き出してみましょう。それらの行動が回避の可能性があったとしても、すべて悪いわけではないので、気軽に書き出してみましょう。



<回避行動は習慣化する>

回避行動はよく考えた末の行動ではありません。無意識でとる自動的な行動なので、気づかないうちに繰り返しおこない、習慣化します。カオルさんの例のように、朝、目が覚めてもすぐに布団から出ない、やるべき家事を避ける、何時間もネットサーフィンやネットゲームをする、このような行動は、最初はストレスの軽減に役立っていたかもしれませんが、毎日繰り返していくうちに習慣化してやめれなくなってしまったのです。カオルさんがうつ病から抜け出すための第一歩は、習慣化している自分の回避行動を認識、自覚することです。



<何を回避しているのか?>

うつ病になると、気分だけでなく、身体も重く、常に疲れを感じます。薬の副作用で眠気があったり、頭がぼーっとしているかもしれません。そのような眠気や疲れを感じて横になっているとき、「私は今、何を回避しているのだろう?」と考えてみても、自分が何を回避しているのか知ることは難しいでしょう。健康なときの仕事後の疲労感と、うつ病の症状としての疲労感は全く異なります。健康なときの疲労は横になってゆっくり休めば回復しますが、うつ病の症状としての疲労は、ゆっくり休んでも回復しません。むしろ、横になっていると、あれこれ余計なことを考えてしまい、疲れがひどくなってしまいます。うつ病の人は、自分は疲れているから横になっていると思っていますが、実は逆なのです。横になるから考え事をしてしまい、よけいに疲れてしまうのです。それがうつ病のときの疲労の特徴です。ゆっくり休んで疲れがとれるのであれば、その疲れは健康的な疲れです。休んでも疲れがとれず、よけいに疲れてしまうのであれば、その疲れはうつ病からくる疲れなのです。 それでは、うつ病の人はなぜ一日の大半を横になって何もせずに過ごすのでしょうか?その理由として考えられることは、次の2つです。

・ストレスからくる身体的な不調(いわゆる自律神経失調症)のため
・何もしなければ、起きて活動することで直面するかもしれない状況や感情を回避できるため



<サトルさんの場合>

サトルさんは、朝6時半に目覚まし時計が鳴るようにセットしています。毎朝、目が覚めてから1時間くらい布団の中でごろごろして、仕事のこと、人間関係のことを繰り返し考えて、ストレスと不安で押しつぶされそうになります。出勤の準備をしないといけない時間になっても、布団から起き上がることができません。そんな日は会社に電話をして、2時間ほど遅れて出勤します。サトルさんは、そんな自分が本当に嫌でなんとかしなければと思いますが、毎朝同じことを繰り返してしまいます。サトルさんは、朝の気分と行動をコントロールすることは全く不可能だと考えています。



<サトルさんは何を回避しているのか?>

起きなければいけない時間になっても布団の中で過ごすことで、サトルさんは何を回避しているのでしょうか?うつ病による疲労感はあるかもしれませんが、布団から起き上がることで疲労感は軽減します。実際にサトルさんは、無理をしてでも思い切って起き上がって出勤の準備をしたほうが気分は良くなることは経験的に知っていました。早い時間に職場に着き、午前中のうちにいくつか仕事を片付けることができると、状況を自分でコントロールしていると思えるし、自分でも調子がいいと感じられることも分かっていました。 サトルさんは、自分は何を回避しているのか考えていくうちに、「仕事に関連する不安」から目をそむけていることに気づきました。布団から起き上がって、シャワーを浴び、服を着替え、出勤の準備をしながらも、仕事のことを繰り返し考えてしまうのです。自分の担当するプロジェクトがうまくいくのか、顧客からのクレームにきちんと対応できるだろうか、上司からまた注意されないだろうか、同僚と仲良くならないといけない、山積みになった書類の整理をしなければならない、何から手をつけたらいいのかわからない、そのようなことを考えて強い不安を感じていることに気づきました。このような不安と比べると、布団で横になっているときの不安のほうがまだましで、温かい布団の中でささやかな安らぎを得ていることがわかってきました。そして、その安らぎはほんの一時的なもので、結局は状況を悪化させて自分の首をしめてしまっていることも理解できました。



<課題 4-2> あなたが圧倒されると感じる感情は何ですか?  不安  怒り  悲しみ  恐怖  罪悪感  自責の念  その他(        )
また、どのような状況でその感情が出やすいですか?



<課題 4-3> あなたはその感情、状況から逃れるためにどのような行動をとっていますか?振り返ってみましょう。



<課題 4-4> 不快な感情から逃れるための行動は、回避となっている可能性があります。 その行動をとることでの短期的(一時的)な結果と長期的な結果について考えてみましょう。 短期的には気分は楽になりますか?悪くなりますか?長期的にはどうですか?



<回避行動はなぜ習慣になるのか?>

学習理論によると、ある行動をとったときにご褒美が得られると、その行動は強化され、再びその行動をとる可能性が高まります。回避行動の習慣化は、学習理論により説明されます。つまり、回避行動をとったときに、「不安の緩和」という「ご褒美」を得ることで、その行動は強化されます。これを繰り返すことで回避行動が自動化し、習慣になるのです。 サトルさんは、出勤の準備をせずに温かい布団の中で過ごすことで、一時的な安らぎ(ご褒美)を得ていました。そのため、その行動が強化され習慣になっていたのです。その習慣を変えていくためには、サトルさんが気づいたように、回避行動で得られる安らぎは一時的なもので、結局は自分をより苦しい状況に追い込んでしまうものだと理解する必要があります。



<回避行動かどうかを確かめる>

回避することがすべて問題というわけではありません。愚痴や悪口ばかり言う隣人と関わることを避けることは、精神衛生を保つために必要ですし、暗い夜道を歩くのを避けることは、身の安全のために必要な適応的な行動といえるでしょう。 問題のある回避行動かどうかは、次の2つを調べることで判断できます。(a)状況をみる (b)行動後の気分をみる

(a)状況をみる
先のカオルさんの例を思い出してください。彼女は、夜中に数時間インターネットをしていましたが、もし本当に必要な情報収集のためにインターネットをしているのであれば適応的な行動といえます。しかし、家事などやらなければならないことが山積みの状況下で、特に重要でない情報を調べているとしたら、それは回避行動といえるでしょう。同じ行動でも、「状況」によって回避行動か適応的な行動かは変わってくるのです。仕事の合間の休憩時間に甘いお菓子を食べることは、糖分補給やストレス解消、リラックス効果があり適応的な行動といえますが、夜中に甘いお菓子を食べることは、不安や悲しみなどの感情を回避するための行動である可能性があります。

(b)行動後の気分をみる
ある行動をした後に、どのような気分になるかをみると、それが回避行動か適応的な行動かを判断できます。幸福感、満足感、安心感など、気持ちが平穏で安定していれば、その行動は適応的な行動といえます。逆に、罪悪感、後悔、悲しみ、自責の念などの気持ちが生じれば、回避行動の可能性があります。



<回避行動は感情的な反応>

回避行動は、「気分・感情に流された自動的な行動」といえます。 一旦生じた気分・感情は心理学的には取り除くことはできません(過ぎ去るのを待つしかない)ので、回避をやめるためには「行動が気分に影響されないようになる」しか方法はありません。そんなことができるのかと思われるかもしれませんが、気分に流されずに行動することは、実はそれほど難しいことではありません。気分の落ち込みがそれほどひどくないときは、寒い日の朝、温かい布団の中にずっといたいと思っても、仕事の時間が近づくと(しぶしぶでも)布団から起き上がることができます。嫌いな上司に叱られて腹が立っても「すみません」と謝ることができます。食事を済ませた後、面倒だと思っても使った食器を洗うことができます。うつ病でないときには、気分に流されずに行動することは、ごく自然にできているのです。うつ病のときは行動は気分に影響されやすくなりますから、それを自覚し、そうならないように「意識する」ことが重要になります。



<回避行動のパターン>

回避行動のパターンはいくつかあります。以下に代表的な回避行動のパターンを示します。
① 先延ばし ② うつ症状 ③ 反復思考(堂々巡り) ④ 麻痺、注意散漫

① 先延ばし
ある行動が気分的に不快感をともなうときに「先延ばし」が生じます。部屋の片づけをしなかったり、何日も食器を流しに置きっぱなしにしたり、電話やEメールの返事をためたり、未払いの請求書や未完成の書類をほったらかしにします。「先延ばし」は、うつ病の人の多くに見られる回避行動のパターンです。

② うつ症状
うつ病になると、さまざまな精神的、身体的症状が出ます。それらの症状の一部は、回避の手段として機能していると考えられています。たとえば、うつ病になると極端に自分を責めて気分が落ち込み、何も考えられなくなることがありますが、そうなることで、自分の意見を主張したり、誰かと話し合いをする場面を避けることができます。また、別の症状として、身体のだるさを訴えたり無気力になることがありますが、そうなることで、家事、仕事、人間関係、不快な感情を避ける手段として機能することがあります。

③ 反復思考(堂々巡り)
深くじっくりと考えることは問題解決に役立つことはあります。一方、反復思考(堂々巡り)をすることは、問題解決に向かうときの苦労やしんどさを回避する手段となります。同じことをぐるぐる考えることで、前に進まないようにしているのです。

④ 麻痺、注意散漫
感覚を麻痺させ、注意散漫になることで、不安、悲しみ、憂うつなどの不快な感情を避けることができます。アルコールや薬物の過剰摂取もこれと同じ働きをします。



<課題4-5> これまで学んだことを参考にして、以下の4つの項目をモニタリングし記録をつけましょう。この課題はとても重要です。少なくとも1週間は続けてください。
状況:
気分:
回避行動:
その後の気分と行動:



<課題 4-6> 自分の回避行動のパターンを振り返ってみて、気づいたこと、考えたこと、感想など、自由に思いつくままに書いてください。



<行動パターンを把握する>

ここまでの課題に取り組んできて、あなたは、状況、気分、回避行動を以前よりも客観的に見れるようになっています。あなたは今、いくつかの回避行動のパターンを把握しています。ちょっと自分自身を感じてみてください。あなたは今、以前よりも少し気持ちが楽になっていることに気がつきますか?自分の行動パターンを自覚できるようになると、行動パターンが変わったわけではないのに気持ちが楽になることが心理学の研究からわかっています。また、自分の行動パターンに気づくだけで、より適応的な行動に自動的に修正されることもあります。ほんの少しの変化と感じるかもしれませんが、あなたはあなたが思っている以上に着実に変わってきています。 次の章では、回避行動をより適応的な行動に変えていく方法を学んでいきます。




第1章 うつ病と不安の克服に向けて
第2章 行動と気分のつながりを理解する
第3章 行動を変え、気分を変える
第4章 逃げない自分になる
第5章 新しい生活を手に入れる
第6章 ネガティブ思考をやめる
第7章 気分に流されない自分になる
第8章 人生をコントロールする